9月6日の午前3時頃に発生した胆振東部地震。
その時私は、NETFLIXで『鋼の錬金術師』を見ながら寝る準備をしていました。私の住んでいる所は揺れませんでしたが、程なくして停電。
すべてが闇に飲み込まれました。
「前の時と違うな…」
窓の外は目が慣れていないこともあり何も見えません。
実は4日の夜から5日の未明にかけて台風が通過した時も2,3度停電しましたが、窓の外から遠くでぼんやりと灯る街灯が見えていたのです。今回はそのぼんやりとした街灯も見えなかったので、広い範囲で停電しているのかな?と思っていました。
目次
3時15分頃、電話で地震を知る
職場のボスと親から電話があり「地震があった」と告げられました。
営業時間外に大きな地震が起こった場合、社員が店舗の被害状況を確認しに行くという決まりがあるので、とりあえず着替えて向かうことになりました。
生憎ボスは帰省中。一人で向かうことに…
3時25分頃、懐中電灯ってどこにおいた?
皆さんは停電した時にすぐに使えるよう、懐中電灯や電池の置き場所を決めていますか?用意をされていて、置き場所を決めてあるご家庭も多いかと思います。
私も置く場所を決めておいたのですが、いざ停電という特殊な環境に置かれると気持ちが焦り思い出せなくなります。定期的に保管場所の確認をしておき、体がすっと動くようにしておくと良いです。
3時35分頃、電池の予備はある?
ようやく見つけた懐中電灯のスイッチを入れても反応なし。
「ですよねー」
幸い電池の置き場所は覚えていたので、ササっと電池交換を済ませてスイッチON。
・・・
付かない…!ナンデ!?
原因は電池を長時間入れたままにしておくことで発生する『液漏れ』です。仕方ないのでスマホのライト機能で夜道を進むことに…
『ドールズフロントライン』の遊びすぎでバッテリー残量は8%…
胃をヒリヒリさせながら家を出ることに。
3時40分頃、夜道を歩く。
真っ暗な夜道で車に轢かれても嫌なのでワイシャツと白いズボン姿で外に出ました。
10分ほど歩いて店舗に到着。店内は非常灯が点いていて少しホッとしました。店舗に備え付けの懐中電灯を借り、被害状況を確認。建物に亀裂や店舗内で商品が散乱しているなどの異常がない旨をボスに報告して帰宅。時刻は4時30分、少し寝ることに。
6時、目覚めても状況は変わらず
セットした目覚ましにたたき起こされて起床。
停電が復旧していないことを確認し、通電火災を防ぐためブレーカーを切ってから車に乗り、スマホの充電とテレビで情報収集。ここで初めて事態の大きさを知ります。携帯も圏外になり、連絡を取るために2kmほど離れた道の駅まで移動しなければならなくなりました。
7時頃、情報を得るための手段をさがす
3.11から数年は、どこの店舗にもポケットラジオの取り扱いがありましたが、今は取り扱いがありません。
事務所からラジカセを掘り起こし電池を入れてレジに設置しました。停電でレジが使えず手作業での会計になるため、待ち時間が長くなってしまいます。その間お客様にラジオを聴いてもらおうと考えました。8時20分頃にボスも帰省から戻ってきて準備万端、店を開けます。
乾電池・水は即売り切れ
お客様が待っているので8時30分に開店。10分ほどで店内が賑やかになりました。単1・単2電池とミネラルウォーターはすぐに売り切れ、カップラーメンやインスタント麺もかなりの勢いで売れていきました。
よく売れたもの
- 電池
- ミネラルウォーター
- カセットガスボンベ
- カップ麺・インスタント麺
- レトルトカレー
- ベビーフード・紙おむつ
ロウソクも売れるかと思いましたが、災害時用のロウソクが売れるだけに留まりました。細くて背の高いタイプだと地震で倒れて危険なので避けたのだと考えます。
16時、日没前に閉店
結局営業時間中は電力が復旧せず、日没前の16時に閉店することになりました。
客数のピークは開店~2時間だったと記憶しています。ミネラルウォーターとガスボンベは1時間立たずに品切れ、電池やカップ麺も昼を過ぎたころには在庫がほぼ売り切れる状況となりました。
まとめ
- 懐中電灯や電池は保管場所を決めておき、定期的に確認する。
- ラジオ、現金、LEDランタン、予備バッテリーは用意しておいた方が良い。
- 懐中電灯やラジオを長期間使わない場合は電池を外しておく。
- やむを得ず家を離れる場合はブレーカーを切る。
- トラブル発生後に飲料水、カップ麺、電池等を手に入れるのは難しい。
- 買い物をする場合は必要なものを必要なだけ買う。買いすぎないようにする。
- 電子書籍『東京防災』は無料なのでDLしておくと吉。
東京都が作成した防災ブック。首都直下地震等の様々な災害に対する備えや豆知識、便利な情報が記載された一冊。電子書籍版はKindleやiBooksで無料ダウンロードできます。
停電していた期間は1日だけでしたが、相当消耗しました。普段の備えがいかに重要であるかを学んだ日になりました。